力を合わせて壁のない社会を
多国籍・多世代のケアが生まれる団地

愛知県豊田市の保見(ほみ)団地。住民の半分以上が外国人ということで全国的にも知られた場所です。 団地内の「ケアセンターほみ」は、高齢者の訪問介護と、障がいがある児童の放課後を預かるデイサービスを運営中。 スタッフの藤田パウロさん、上江洲恵子(うえずけいこ)さんに話を聞きました。

午後4時頃、「ケアセンターほみ」前に、小学校~高校を下校した子どもたちがやってきます。ほとんどの子が車椅子利用者。外国にルーツがある子もいれば、日本の子もいます。
送迎者のバックドアからの降車を藤田パウロさんたちスタッフが手伝い、子どもたちは室内へ――。
にぎやかな声に包まれる中、スタッフからおやつをもらい、その後はパソコンやタブレットで遊ぶ子もいれば、スタッフと話に興じる子も…。
夕方まで思い思いの時間が流れていきます。

保見団地内の1棟の1階にあります

藤田さん
「私は今78歳。この年になると、お金より人のために働くのがいいですね。胃の病気もしたけど、何よりの薬は、この年でも働けるということ。ケアセンター保見で働けて、しかもそれが、子どもたちと触れ合う仕事…。寿命も伸びますよ」

利用者の介助をするパウロさん。この日のおやつは、ヨーグルト

出稼ぎのつもりだったけど…

日系ブラジル人の藤田さんがここのスタッフになったのは、豊田市内の自動車関連工場を定年退職した後のこと。「ほみ」の開設にも関わった上江洲恵子さんに誘われました。

――お二人は南米の出身なんですよね 。

藤田さん
「1990年に40代でブラジルから日本にやってきて、ここ保見団地に住み始めました。ブラジルでも祖父母と片言の日本語で話していたんですが、本格的に学びはじめたのは、こちらに来てからです。
豊田市内の自動車関連工場で働きながら、日本語教室に通いました。日本に来たのは出稼ぎのつもりだったんですが、結果的に妻子を呼び寄せて暮らすことになりました。もう32年になります」

上江洲さん
「私はペルーの出身です。日本に来て32年。ここに来るまでに、アメリカ、沖縄、静岡などにも住んだことがあります。そこではやはり自動車関連の工場の仕事をしたり、清掃の仕事をしたりしていました。
2008年にリーマンショックが起きた後、愛知高齢協(※)の人たちと出会い、基金訓練介護講座を受け、『ケアセンターほみ』の立ち上げに参加しました。
その後、パウロさんを『仲間にならない?』と誘って、来てもらうことにしました。パウロさんは働き者ですよ」

※愛知高齢協

高齢協は、「仕事、福祉、生きがい」を柱に、支え合いの活動づくりを総合的に取り組む生活協同組合。愛知県では春日井・岡崎・豊田・名古屋・一宮と県内5ヵ所で介護保険サービス及び障害福祉サービス事業を担う。
利用者もスタッフも、日本人もいれば外国人も。

――お二人とも、日本で民間企業の工場で働いた経験がありますね。どのような経験でしたか?

藤田さん
「工場では、日本人は上司の話を、下を向いて聞きます。それで『ハイ』とうなずくだけ。社長がやってきても、(従業員は)遠くから見るだけです。ブラジルなら、職場(の上下関係)でも人と人の会話は『目と目を見る』のが基本です。そういうとき、文化の違いは感じましたね」

上江洲さん
「日本に来た当初は、私も派遣として工場で『誰かの指示通り』に働いてきました。『部品を工場のラインにひたすら出すだけ』の仕事とかでした。ここ『ケアセンター保見』で働くようになってからは頭も使うし、責任者として、ここを任せてもらっている。協同労働の現場だから外国人でも私は責任者をやれているんだと思うし、この働き方に『巡り合えた』と思っている」

――――協同労働をポルトガル語で言うとどうなりますか?

藤田・上江洲さん
「Juntos(ジュントス)ですね」

上江洲さん
「みんなで、一緒にノリノリになって何かやる、という意味です。『ケアセンターほみ』では経営についての会議は、盛り上がりますよ。『ボーナスどうしよう?』『欲しいよね』『じゃあ、何をするべきなのか』とか話し合います。新しい仕事は断らないようにしようと話し合ったり、経営の数字は見えるようにすると、みんながんばるんです」

ごみステーション前のボランティア。毎朝習慣にしています

ごみステーションでのボランティア

藤田さんは毎朝習慣にしているボランティアがあるそうですが?

藤田さん

「ごみステーションを毎朝清掃しています。ごみ出しのルールを守らない人がいると『日系人は、だらしがない』とか決めつけられる。私たち全体が悪者にされてしまう。もともとは、そういう目的のためにやり始めて、今はすっかり『ハマった』というか(笑)。」

上江洲さん
「この清掃活動で、パウロさんは信頼を得て、日本人と日系人の『窓口』として頼られるようになりました。今はここも治安もよくなったけど、90年代はトラブルがよく起きていました。団地内に屋台が出ていて、そこでお酒も飲んだりしていたから、ケンカもよくありました」

藤田さん
「日系人が起こしたトラブルで警察が来たときに、事情を説明する通訳したり…。最近は、そういったことも少なくなりましたね」

保見アートプロジェクトで、若者が描いてくれた壁画。藤田さんの右横に「藤田さんの似顔絵」があります

保見アートプロジェクトで交流が進む

日本人と外国人住民の交流を促進するために行われたプロジェクトの一つに、NPOトルシーダや中京大学など、5つの団体による「保見アートプロジェクト」(2019年)があります。

藤田さん
「団地の住民同士に『お互いの背景を知り、交流をしてもらおう』という目的で、若者たちが団地内の壁に描いてくれました。実際の住民の顔が描かれています。
(昔に比べれば)外国人と日本人の間の壁は、少しずつなくなってきました。日本人が外国人たちに慣れてきたのか、外国人が日本の文化を理解したのか…両方かもしれませんね」

保見ケ丘団地

「使い捨て」にしない 高齢者も外国人も

――「単純労働」という在留資格が日系人外国人たちに適用され、藤田さんたちが保見団地に定住しはじめて30年。
  日系人たちの高齢化も進んでいますね。

上江洲さん
「たとえば藤田さんは、日本の工場でも、(直接雇用で)定年まで働けたから年金があるんです。そうじゃない外国人がたくさんいる。派遣などは、長年働いても不安定」

景気が悪化すれば、「雇止め」にされ、 高齢になっても満足に年金ももらえません。
「壁がなくなりつつある」とはいっても、セーフティネットの面では、日本人と比べて格差があります。

藤田さん
「日本社会が私たちを住民として認めてくれたらね…」

国はケア分野への労働力としての外国人受け入れを、今後も進める方針です。
「今だって、ヘルパーとして働けそうな外国人は、この地域にも今でもたくさんいるのに…」とつぶやく上江洲さん。
「私は研修を受けて、ヘルパー登録してくれた人と(長く)仕事をしていきたい」
その言葉には、仲間を「人手不足の穴埋め」や「景気の調整弁」にはしない――という決意が込められているようです。
ケアセンターほみの10年の「これまで」と「これから」には、共生社会のヒントがたくさんありそうです。

日本語学習のための本も「ケアセンターほみ」にはそろってます

新しい働きかた:034ケアセンターほみ


(愛知県高齢者協同組合)
愛知県豊田市の保見団地内にあるケアセンター。2011年開所。訪問介護と放課後児童デイサービスを運営。高齢化する外国人に介護保険のサービスを、積極的に提供するヘルパーや通訳の姿勢がたびたびメディアにも取り上げられています。

取材協力:ケアセンターほみ(愛知高齢協)
文:伊吹百合子

写真:伊吹百合子、伊藤剛